影清廟  07年3月

藤原(平)影清は平家の勇猛な武士で「悪七兵衛景清」とも呼ばれて
いました。悪七兵とは悪人という意味ではなく強いという意味で、その
勇猛さ、誇り高さはいつくかの逸話も残されているほどです
その影清は壇ノ浦で平家が敗れたあとも源氏打倒を心に期していた
もののついに捕らえられます。源頼朝は影清を高く買っていたため
自分に仕えることを望みましたが、影清は平家方の武士としての誇り
からそれを辞退し、「この目が見えなければ源氏の世を見ることも
あるまい、ならば頼朝を殺すこともあるまい」と自らの目をえぐり取り
盲目となったのでした。そして頼朝は影清を日向の地に任命し、
その後平穏な一生を送ったといわれています。
そのあいだにはよそに預けていた娘、人丸が父を慕ってこの地に
やってきて再会、その後早死するまで影清とともに暮らしたそうです。
生目神社の名前は影清に由来しているともいわれているようです

以上、アチコチを読んで自分なりに解釈してまとめてみましたが、
これらの話は全部デタラメで、影清は宮崎には来ていないという説も
あるらしいです。ま、それはそれとしておいといて。

下に画像だけ並べておきます


平和台のバス停から徒歩圏内にあります


同じ敷地に下北方地区公民館もあります


わりと狭い敷地ですがいろいろ詰め込まれているかんじです


平和台から近いです

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